おさむるばすのblog

ここでは自己紹介を書いています。ファッションやアニメついても

高2の夏

僕はあまり「死」というものを実感したことがあまりありません。親族が亡くなった経験もないので葬式に全然行ったことないし、ペットとかも飼ったことがないので。だから焼香の仕方とか全然わかりません。まあまだ若いので当たり前なんですが。でもこれまでで一回だけそれについて深く考えたことがあります。

高校二年生のとき一歳年上の幼馴染が列車事故で亡くなりました。朝の駅のホームからふらっと落ちて列車にひかれたそうです。当初は自殺なのではないかとか言われていましたがそんな悩みを抱えたりする人物ではなかったので事故だという話になっていた気がします。

幼馴染といっても家が近所ということで小学生のころまではよく遊んでいましたが、中学生からは割と疎遠でした。なので知らせを聞いたとき衝撃を受けましたが、あまり実感が湧きませんでした。知らせを聞いてすぐに母親とその子の家に行きました。家に駆けつけてその子のお母さんが僕の母親に言った言葉が今でも耳に焼き付いています。「◯◯さん(僕の母)も◯◯君(僕)のこと大切にしいやー。いついなくなるかわからへんからなー。うちの◯◯はもう遠いところいってしもたわ。」とても落ち着いた様子でした。列車に轢かれたにも関わらず彼は奇跡的に五体満足の状態でした。病院に搬送されるまでは意識があったそうです。家のリビングには、傷は多少ありましたが寝ているような表情で遺体が布団に横たわっていました。家に駆けつけた彼の友人たちは泣き叫んでいたり、呆然としたりと様々でした。ぼくは後者の方でした。そして不謹慎かもしれなかったけど悲しみとかよりも唖然とする気持ちのほうが強かったのを覚えています。しばらく会っていなかったので、こんな顔していたっけみたいなことを思いました。混乱していたのだと思います。

そして一番強く思ったのは「こんな突然に身近な人は亡くなるのか」というこれまで数々の人間に考え尽くされたであろうことです。彼は昔から人々の輪の中心のような人でした。僕とは真逆です。高校も優秀な学校に入り、大きな部活の部長をやっていました。モテていたとも思います。僕はそういう類の人は「死なない」と思っていました。少なくともこういう亡くなり方はしないとなぜか決めつけていました。その考えが根本から覆され、実体験として目の前に現れたことに衝撃を受けました。

おそらく僕のその時の感情は彼と微妙な仲だったからこそ感じた感情だったのだと思います。とても親しかったり、もしくは全然親しくなかったらそんなことを思わなかったとおもいます。中間にいたからこそ一歩引いてみていたのだと思います。僕の悪い癖、「俯瞰」です。

彼のお葬式の時のことも鮮明に覚えています。たくさんの友人がかけつけ、彼へのいろんな寄せ書きのようなものがたくさん会場に飾られていました。葬式の最中は友人たちは和やかな雰囲気でみんな笑顔でした。みんな笑顔で送り出したいという気持ちだったのでしょう。でも出棺のとき、みんな号泣していました。彼が火葬場行き、もういなくなるのだということを実感したのです。でも僕は全然泣けませんでした。僕は常にクールで友人の死に一滴の涙も流さない冷酷な人間さみたいな自己紹介をする気は毛頭ありません。ほんとうに涙が出なかったのです。悲しいという感情はもちろんありました。彼との記憶が駆け巡りました。でもそれ以上に整理がまだついていなかったのだと思います。本当にいなくなってしまったのだと。

正直今でも彼の死の整理は自分の中で整理がついていません。高2から彼の家に線香をあげに行けていません。こんな感じでは将来自分の親族が亡くなったときの自分が不安です。

僕はこの文章で「人はいついなくなるかわかんねえから普段から周りの人を大切にしよう」みたいな啓発をするつもりはありません。もちろんそれは大切なことです。しかしこの体験で僕の薄っぺらい人生観のようなものは大きく変わりました。彼のことは一生忘れないと思います。