おさむるばすのblog

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ロールプレイング

つい最近のことですが僕のバイト先の同僚がひとりバイトを辞めました。

地元から大学生活のために一人暮らしを始めた僕にとってその同僚は今住んでいるこの土地での唯一に近い友人です。バイトを辞めた今でもよく飲んでます。その友人がバイトをやめた理由はざっくりいうと人間関係です。

彼がバイト先で担っていた「役割」は「誰がどういう風に接していても大丈夫なお調子者」です。ちょっと頼みにくい仕事でも彼になら大丈夫、あいつはそういうキャラだしちょっとくらいぞんざいに扱ったり強く当たったりしてもいい、いつもへらへらしてる。実際ぼくも最初のころはそんな印象でした。しかしそんな「お調子者キャラ」と彼の実際の気質には乖離がありました。

彼は実は誰よりも内気で物事を考えすぎてしまうような性格でした。彼はそんな自分に押し付けられた役割と本当の自分とのギャップ、その役割のまわりからの押し付けに違和感を感じ、辞めました。もちろん僕は完全に彼のことをを理解しているわけではないからもっと他に根源的な理由があったのかもしれません。大袈裟かもしれませんがでもこれまで何度も何度も彼と話していて僕が出した一つの結論です。

彼は別に大きな実害を受けたわけではありません。彼を職場の人間が堂々といじめていたりしていたわけではありません。むしろ人間関係は第三者の僕から見て良好にも見えました。しかし彼は「違和感」を感じて辞めました。

僕は彼から辞めようかと思っているという話を聞いたとき、「なぜ?」と思いました。「違和感がある、雰囲気が嫌だという理由で辞めるのか?」と思いました。その話を聞いてから彼と職場の人間との関わりをよく観察するようになりました。すると昨日までとは違った見え方がしてきたのです。

僕にも「違和感」が肌で感じられるようになりました。みな表面上の取り繕ったような関係で接していたのです。バイトの職種によるものもあるのですが「みんな文句言わず波風立てずにいこうね」「みんな割り当てられたキャラ、立ち位置で振る舞おうね」といった雰囲気があることに気づきました。もちろんそれは平和でアットホームな職場なんだと思います。所詮バイトともいえますし。でも僕はそこではじめてある種の「気持ち悪さ」を感じてしまいました。

そして同時に気づきました。僕も彼に「役割」を知らず知らずのうちに押し付けていたひとりであったと。だから彼の景色が見えていなかったのだと。

人間は見た目などの第一印象によってキャラを勝手に周りに確定されることが往々にしてあります。そしてそのキャラが実際の自分とかけ離れたものであることも珍しくはないでしょう。あいつはチャラそう、あいつは真面目そうそういった判定を日々僕もしています。そしてそのキャラを受け入れ、本当の自分を奥に押し込めて生きている。世の中そんな人が過半数だと思います。でもそれを受け入れられる人とそうでない人がいる。彼は後者だった。

僕はそんな環境や社会は間違っている!とか論評したいわけではありません。ただ、次にまた彼みたいな人に出会ったとき自分はどうするべきなのだろうかといつもいつも考えています。「もっと本当の自分出して行けよ」と言うべきなのか、それとも傍観を決め込むべきなのか。

彼の話を聞いていると、彼はこれまでの人生のあらゆる段階でそのキャラは不変だったようです。「たぶん一生おれこのままだな!」と彼は笑いながら言っていました。

環境を変えるときに自分のキャラも変更することのできる人もいます。いわゆる「高校デビュー」とか「大学デビュー」とか言われるのもその類でしょう。でもどこへ行っても変わらない、もしくは変われない人もいます。そういう人はいつか救われるのでしょうか、そもそも救われたいと思っているのでしょうか。

なんか深いことを書きたかったんですが、ただもやもやしていることを書いただけでした。人間関係ってめんどくさいですね。