おさむるばすのblog

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こころ

僕はバイトで小中高生に勉強を教えています。ある子に次回授業で「テストで夏目漱石の『こころ』が範囲なのでそれについての授業をしてほしい」と言われて、事前に『こころ』を読み返して勉強することになりました。

高校生ならかならず習う『こころ』ですが僕が高校のころは「よくわからんな」で終わっていました。大学生になり、ある程度は知識、教養を身に着けた今なら見方が変わるかもしれないと思い読みはじめましたが、やっぱりよくわかりませんでした。ストーリーは理解できるのですが伝えたいこととかが分かりませんでした。もしかして「伝えたいことなんかねえよ」ということが伝えたかったのか?とか思いましたが大文豪の夏目漱石が書いた本がそんなわけねえと思いながらもう一回よみました。よくわかりませんでした。なんでこれが日本で一番売れている本なんだとおもいましたが、調べてみるといろんな説やらなんやらがあって一番有名なのは「漱石はこの作品で明治の精神を終わらせた」ということらしいです。

この作品はざっくりいうと三角関係の話ですが、現代人の読者が違和感を感じるのはやはり「先生の自殺」でしょう。「先生」は「お嬢さん」に恋し、友人のKも彼女に恋したことに焦りを感じた「先生」は彼女に求婚し、婚約することでKを出し抜き、それを知ったKは自殺。「先生」は「お嬢さん」と結婚した後もそのことがずっとこころに引っかかており、その当時国民的スターだった乃木大将が明治天皇崩御によって殉死を選んだことに感化され「先生」も自殺するという流れですが、まず乃木大将の殉死というのに違和感を覚えます。殉死とは主君が死んだときに自分も後を追うということですが、現在の価値観では考えられないことですね。しかしここがこの作品の一つの肝らしく、古い価値観である殉死を乃木大将が明治の終わりに選んだことに感化されて先生も自分が「明治の精神」をもっていたことを悟り、来るべき新時代(大正)は、時代遅れの、旧式の精神しか持ち合わせていない自分の生き得る時代ではないと判断し、「明治の精神に殉死」することを選んだのだと言います。そして夏目漱石は「明治の精神」の持ち主であった「先生」を作品上で死なせることで自分自身の「明治の精神」も終わらせようとしたということです。ここでいう「明治の精神」とは日本を近代化させてきた原動力である武士道精神や禁欲主義的な道徳を指します。

夏目漱石は「明治の精神」と近代化によって西洋から流入してきた「西洋の精神」とのはざまで揺れていたそうです。これまでの「明治の精神」を保ち続けるのか、それとも「西洋の精神」を受容するのか的な。なんか倫理でやった気がします。

やはりいつの時代も全く異なる価値観を受け入れることに関してみんな悩むんですね。ちなみに僕は全然受け入れられないタイプです。だから友人もどこかしら似たような奴らばっかです。だからいろんなタイプの友達がいたり、海外の友人が多い人とかは尊敬してしまいます。

なんか道徳のような文になりましたが、まとめると、『こころ』を読んだ際の感想は「なんかわからん」で正解なんだと思いました。